2013年9月27日金曜日

軍艦マーチのトリビア

軍艦マーチにはトリオ部として『海ゆかば』という別の独立した軍歌が挿入されています。

軍艦マーチ全体を通してちゃんと聴いたことのない人は知らなかったと思います。スマートフラグでは、デジタル時計の画面で音符マークのボタンを押すと、ヴォーカル付きで軍艦マーチを聴ける画面に移行しますので、是非ご鑑賞ください。

この『海ゆかば』の歌詞は万葉集にも掲載されているという、大変古式ゆかしい事実があります。

海行かば 水浸く屍 山行かば 草生す屍 大君の辺にこそ死なめ のどには死なじ

この歌の作者が大伴家持とする誤情報を巷で目にします。

このフレーズは、万葉の当時、大伴氏と佐伯氏が世間から得ていた名声であり、この両氏族にとって自分たちの氏族を褒め称える場合の合言葉・キャッチフレーズのようなものだったそうです。685年に両氏は天武天皇から「宿禰」姓を賜ります。これは彼らの皇室におけるボディーガードとしての位置付けを意味しています。そして時代を下り749年の聖武天皇(奈良の大仏の東大寺を建立した天皇)の時代、大仏の表面を覆うための金が準備できたことを記念して、天皇は東大寺に行幸し、そこで宣命を下されます。その宣命の中で、大伴・佐伯の両氏が父祖(天武天皇)の時代から皇室の身辺警固に尽力してきたことを、この世間でも良く知られていた評判文句を引き合いに出して、聖武天皇は賞賛されたのです。

このことに大変感激した大伴家持が、このフレーズを引用した長歌を詠み、その長歌が万葉集に収録されました。つまり、家持は長歌全体の作者ではありますが、このフレーズ自体については大伴家持の創作ではなく、元から世間に存在した有名な決まり文句だったというのが本当のことだということです。つまりこのフレーズだけを元にして『海ゆかば』という軍歌が作られているわけですから、『海ゆかば』の詩の作者を大伴家持とするのは、正しくないということになります。

参考:谷村政次郎『行進曲「軍艦」百年の航跡』 p294-298